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温泉ドラゴン『悼、灯、斉藤(とう、とう、さいとう)』プレ企画 リーディング公演をおえて

 日本の劇団の、それも小劇団と呼ばれる団体の多くが、一人の人間が劇作と演出を兼ねているのが現状です。実際、我々温泉ドラゴンも旗揚げから七年近くは、僕が全ての作品を書き、演出していました。このままでは早晩、戯曲を書き続けることに行き詰まってしまうという危機感と、劇団の俳優たちにとっても僕の言葉だけを話すより、違う作家の台詞に触れる方が絶対に表現の可能性が広がるとの思いから、五年前に原田ゆうを誘いました。そこから、温泉ドラゴンは全く違うタイプの二人の劇作家を擁するという、国内を見渡しても相当珍しい劇団となりました。


 そして今回。更なる挑戦として、演出家を外部から招きました。理由は、僕が演出家としての自分を疑ってみようと思ったことと、一人の演出家が全作品の演出をするという劇団の在り方を疑ってみようと思ったことが発端です。劇団活動も長くなると、メンバー間の共通言語が増え、運営やクリエイションがスムーズにいくという、何にも代えがたいメリットがあります。しかし同時に、自分自身を疑わなくなった結果、作品が自己模倣に陥ったり、閉ざされたコミュニティの風通しの悪さは、権力の集中やハラスメントという、あらゆる弊害を産み出す危険性があります。事実、日本演劇界が抱える問題の多くが、この風通しの悪さに起因していると個人的には思うのです。


複数の応募者の中からお願いしたのは中澤陽さん。実に三十歳という新鋭です。お願いした理由は、人柄と能力はもちろんのことですが、なにより、僕の作風と中澤さんの作風がもの凄く遠い距離にあることでした。


 そして、この目論見は見事に成功しました。中澤さんはとても緻密に、そして大胆に原田の新作に向き合い、立ち上げてくださいました。それも、僕の視点とは全く違う角度から。これはもう、作品にとってプラスでしかないわけです。だって、稽古に入る何か月も前に、作品は既に二人の演出家の視点を獲得しているわけですから。それだけではありません。本公演とは違うキャストの皆さんの真摯な演技と、終演後の観客席とのディスカッションは、作品に更に複数の視点を与えてくださいました。こんなことは通常の作り方では、絶対に起こり得ません。


 一つの作品をじっくり時間をかけて練り上げ、育てていく。創作においてごく当たり前に思えることが、日本の演劇業界ではなかなか難しい現状があります。劇作家が苦しみ抜いて書いた作品が、数日から数週間の本番が終わると共に消費され、二度と再演されないものがほとんど。そしてすぐ次の作品を書かなければなりません。そうして年に何本も書かないと劇作家は生活できないのです。こんなことを繰り返していたら早晩劇作家は疲弊し、業界を去り、日本の演劇界は不毛地帯となってしまいます。そのことに対して、猛烈に危機感を抱いているのです。長年の習慣やシステムを一朝一夕で変えることは難しいことです。けれど、種を蒔き続けなければ、芽を出すことはないし花も咲きません。今回の試みは、日本演劇界の将来に向けた種蒔きのような企画です。一部公共劇場ではこれに近い企画や、もっと発展した形の企画も行われていますが、民間の、しかも我々のような超小劇団にとっては、金銭的にも効率的にも全く不利なわけで、ものすごく勇気の必要な企画でもありました。


 さて、企画の立ち上げから一年以上経ちました。この期間、原田ゆうという劇作家が新作を産み出し、その作品は無数の視点を手に入れました。今原田は、本公演に向けて更なる高みを目指し書き直しています。どんなものが出てきても僕はその全てを受け入れ、自分の持てる限りの力で具現化することに尽力します。これまでの全ての出会いを糧に、大いに自分を疑いながら、精一杯作ろうと思います。そのことだけが、この作品に関わってくださった全ての方に対する責任だと思うのです。


劇団温泉ドラゴン シライケイタ


参考🔗












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